Netflixで「キングダム」を見た

Netflix大好き!もぐらコナーです。韓国のネトフリオリジナル作品、「キングダム」を鑑賞したのでそのことについて話そうと思います。

 

 

舞台は李氏朝鮮時代です。漢陽(ハニャン:今のソウル)の宮廷内では王妃の父親であるチョ・ハクジュを中心とするチョ氏の派閥が権力を握っていて、側室の子である皇太子イ・チャン(劇中では主に世子と呼ばれる)は政治的に不安定な状況にあるんですね。そんな中、健康状態が悪化し死亡説まで流れている父国王への謁見すらチョ氏に妨害されてしまいます。事態打開の鍵が東莱(トンネ:今の釜山)にあると知った世子は近臣のムヨンを連れて東莱に向かいます。無事東莱に到着したのですが、なんとゾンビが大量発生してしまいます。ゾンビとの戦いとチョ氏との戦い、この二つを軸に話が進んでいきます。

 

 

私が注目したのは世子の人格描写です。権力を欲しいままにして民衆を苦しめる政敵チョ氏と自分を対比させる世子は、弱い民衆に寄り添う君主という自己像を思い描いています。でも結局これは虚像に過ぎないわけですね。劇中でチョ・ハクジュの息子のセリフにもありますが、世子は「運良く王の息子に生まれただけ」なんです。良くも悪くも凡庸な人間であって、優れて徳が高いわけでも英雄的名君でもないんですね。

 

 

世子は基本的に民衆を見下しています。旅の途中で貧しい民衆の暮らしぶりを目の当たりにした世子の表情は嫌悪感に満ちていました。意思も弱いです。近臣ムヨンから、東莱へ向かう旅の途中では豪華な食事は望めないことを忠告された場面では「構わぬ(キリッ」なんて言っていたのに早速2話の冒頭では「同じものばかり食べてもううんざりだ」と食料を地面に放り投げてしまいます。他者への共感も欠けています。旅の道中、近臣ムヨンに対して「三族皆殺しだ」という冗談を何度か繰り返します。それを真に受けたムヨンが怯えるのをからかうんです。劇中では権力者の気まぐれで人が殺される場面が何度も出て来ます。この冗談は「不愉快だ」とムヨンが抗議するのも当然ですが、それに対して世子は「私は愉快だ」と悪びれる様子はありませんね。

 

 

さて、世子が民衆とともにゾンビから隠れている場所にチョ氏側の役人がやって来ます。謀反の疑いがかかった世子を連行すると言います。ここで世子が大人しく投降すればそれで済むはずなのに、怖気付いた世子にはそれはできません。結局役人から弓矢による攻撃を受けて多くの民衆が死んでしまいました。自分が投降することよりも民衆が巻き込まれて死ぬ方を選びました。

 

 

その後、「弱い民を見捨てるチョ氏とは違う」という自己認識が間違っていたことに気付いた世子は落ち込みます。人間性に変化が訪れたのかなと思わせる場面ですがそのすぐ後、以前民衆を見捨てて船で逃げた東莱府の府使がやって来ます。府使の姿を見た世子は怒りに任せて府使を蹴り倒し、「お前が見捨てた民がどれほど苦しんだのか」と叱責します。「アレ、自分も同じことしてたよね???」と思いますよね。この時点ではまだ世子の傲慢さは全然変わってないんじゃないかな。人間そう簡単に変われないですよね。結局この後も世子の人間性を試すような極限状態は発生することなくシーズン1が終わります。変われたんでしょうか。

 

 

ところで、世子周辺にチョ氏勢力への内通者がいる可能性がシーズン1終盤で示唆されます。誰なんだろう。最初から行動を共にしてたのは近臣ムヨンだけですよね。彼が内通者なんだとしたら「三族皆殺し」の冗談で笑えなかったのも別の見方ができてしまうなあ。

 

あと、チョ氏の息子役のチョン・ソグォンという俳優は去年の二月に薬物で逮捕されて執行猶予判決を受けたらしいんですよね。ネット配信作品とはいえ、これだけ早く俳優業に復帰できるのは韓国芸能界では普通のことなのかな。日本もそうなるといいな。この人の役はなかなか影のあるキャラで注目してたのに2話であっさり死んじゃいました。もうちょっと掘り下げて欲しかった。